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鳥羽の歴史文化を次世代につなぐ kadoya hozonkai

ご案内&アクセスaccess

アクセス

鳥羽大庄屋かどや 所在地:鳥羽市鳥羽四丁目3−24

お車の場合:伊勢方面からは、国道42号線で鳥羽駅、鳥羽水族館を過ぎ、「中之郷」信号を右折し、近鉄志摩線の踏切をこえて直進し、T字路の突き当たりを左折します。しばらく細い道を走ると、トップページの写真にある「かどや」に出ます。駐車場は、かどやの東側(左手)の細い路地を直進し、突き当たったら右折し、近鉄の踏み切りの右手奥の、かどやと書かれた場所をご利用ください。
志摩方面からも、国道42号線の「中之郷」の信号を右折してください。

電車の場合:最寄駅は、近鉄「中之郷」です。中之郷駅からは、上記をご参照ください。


かどやについて

【廣野家について】
廣野家は、江戸時代後期の文化7年(1810年)に六代目・籐右衛門が薬舗「三僊堂(さんせんどう)」を開業し、明治に入ってからは薬屋「括嚢舎(かつのうしゃ)」を営んでいた。
また、天保11年(1840年)20年間は庄屋を務め、鳥羽藩に一千両以上もの運上金を献上。その間には大庄屋も務め、苗字・帯刀が許され、鳥羽城には「廣野の間」もあったそうだ。飢饉には町民に給付金を授けたのをはじめ、篤志家として様々な寄付を惜しまなかった。

【建物全般について】
母屋は、2階建てと平屋の2つの部分からなり、2階建て部分は文政8年(1825年)に建てられ、平屋部分は明治17年(1884年)に改築されたものである。

【正面玄関】
正面玄関は、江戸時代の図面を元に復元したもの。棚に飾られている道具類は、江戸時代に薬の調合に使われていた。壁に掛けられている看板は、明治時代に実際に表の軒下に掛けられていたもので、現在軒下に飾られているのはレプリカである。

【その他】
母屋は一時無人の時期があったが、保存状態はよく、江戸・明治の面影がそこここに残されている。
特に窓ガラス類は特長的で、ゆがみガラスや色ガラス、すりガラス等、見ごたえがある。
その他、ふすまや欄間にも細やかな趣向が凝らされている。